12年前の3月11日
12年前の今日3月11日14時46分あなたは何をしていました?
2011年3月11日14時46分に東日本大震災が発生しました。
東日本各地で大きな揺れや、大津波・火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で2万以上の死者・行方不明者が発生しました。
当時関東に住んでいた私の家も大きく揺れ、それに続き停電も発生しました。
停電したため、テレビからの情報は遮断され、情報を得るために、車のラジオをつけ、情報収集に努めました。
東北地方で地震が発生し、津波が押し寄せている等の情報が次々に入ってくる状況に唖然とし、
大船渡市に住む、親戚と連絡が付かず大変不安な日々を過ごした事は忘れる事は出来ません。
今こうして生きている事のありがたさや、周りの人に感謝する大きなきっかけになりました。
YouTubeでも上がっていますが、大震災から11日後に行われた中学校の卒業式で卒業生代表の答辞は私は一生忘れる事が出来ないと思います。
最後に全文掲載しますので、時間ある方はぜひ読んでみてください。
一部抜粋します。
『自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには,むごす
ぎるものでした。つらくて,悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。
でも時は確実に流れています。
生かされた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。
しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。』
震災の被害にあった15歳の少年が
『どんな苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命』と、
涙ながらに力強く語る動画をみて、大きく心を揺さぶられました。
困っている人に何かをする原点だと思います。
つらい時、悔しい時はいつも梶原さんの動画を見て自分を奮い立たせています。
今ここにいる事に感謝を忘れずに、どう過ごすのか、どう生きるのかを、
しっかり考えさせてくれる。
とても重みと深みのある答辞です。
気仙沼市立階上中学校の卒業式における卒業生代表梶原裕太君の答辞
卒業生代表の言葉
本日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか,私たちのために卒業式を挙行していただき,ありがとうございます。
ちょうど十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは,そのキラキラ光る日差しの中を,希望に胸を膨らませ,通い慣れたこの学舎を,五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。
一足早く渡された思い出のたくさん詰まったアルバムを開き,十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らずに…。
階上中学校といえば「防災教育」といわれ,内外から高く評価され,十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし,自然の猛威の前には,人間の力はあまりにも無力で,私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには,むごすぎるものでした。
つらくて,悔しくてたまりません。
時計の針は十四時四十六分を指したままです。
でも時は確実に流れています。
生かされた者として,顔を上げ,常に思いやりの心を持ち,強く,正しく,たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。
しかし,苦境にあっても,天を恨まず,運命に耐え,助け合って生きていくことが,これからの私たちの使命です。
私たちは今,それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても,何をしていようとも,この地で,仲間と共有した時を忘れず,宝物として生きていきます。
後輩の皆さん,階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が,いかに貴重なものかを考え,いとおしんで過ごしてください。
先生方,親身のご指導,ありがとうございました。
先生方が,いかに私たちを思ってくださっていたか,今になってよく分かります。
地域の皆さん,これまで様々なご支援をいただき,ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
お父さん,お母さん,家族の皆さん,これから私たちが歩んでいく姿を見守っていて
ください。
必ず,よき社会人になります。
私は,この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に,本当に,本当に,ありがとうございました。
平成二十三年三月二十二日
第六十四回卒業生代表
梶原 裕太
これからも、日々感謝を忘れずに、毎日を一生懸命生きていきます。
がんばれニッポン!!
がんばれ東北!!